今月号の「自由と正義」(日弁連の機関誌ですね。現在私は日弁連理事の抱き合わせ業務でこの編集委員にもされています)の特集は、何と「大規模法律事務所の現状と将来」というものでした。なかなか興味深く読ませていただきました。
私が弁護士登録をしたころは、「日本の法律事務所は100人以上にはならない。なったとしてもすぐに分裂する」という定説?がありました。曰く、日本の弁護士は、良く言えば独立自主の気風が強く、悪く言えば協調性がないため、事務所の規模としては100人が限界だというものです。
ところが現在では、200名を超える事務所が3つもあります。まあ、数千人規模の法律事務所も存在するアメリカに比べれば、それでも小さいものでしょうが、わずか10年のうちに時代は変わるものです。
事務所の大型化や合併が進む理由として、記事中で異口同音に述べられていたのは、「この10年で日本企業でも法律事務所に要求する内容が変わり、マンパワーがないと対応できない大型案件が増えた」ということです。確かに大型倒産・再生案件やM&A案件の急増によって、法律事務所の関与が強まったことは事実でしょう。
こうした社会情勢の変化による法律事務所の大型化は否定はしませんが、一つだけ心配なのは、弁護士としての意識の乖離です。今回「自由と正義」に登場したレベルの経営者格の弁護士は、我々零細事務所の弁護士と相容れないほど感覚に違いがあるとは思いませんが、こうした大型化事務所に最近入所した新人、そしてこれから入っていく新人はどうでしょうか。何となく、大企業に就職する意識しかない、従来の弁護士の意識とは似ても似つかない意識の持ち主が増えるように危惧されます。
もう一つ困るのは、最近の大規模事務所は、新人を大量に採用しますが、当然ながら全員をパートナーにするわけでもなく、新人の半分以上は、どこかであぶれて放り出される運命にある点です。採用した人材をじっくり大事に育てようと言う観点が薄くなっている嫌いがあります(これは日本企業全体の傾向かも知れませんね)。育てられずに放り出された人材はどうなるか?零細事務所でやっていくノウハウが全くないまま、大事務所から放り出された中途半端なキャリアの弁護士を受け入れる受け皿がないと、将来禍根を残しそうな気がします。
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