今週号の「週刊ダイヤモンド」に、「徐々に崩壊する理想の教育 法科大学院二年目
の岐路」という記事が載っていました。
全ては拙速が生んだ混乱というべきだろう。2004年4月にスタートした法科大 学院は右往左往が続いている。第1期生と第2期生合わせて1万1311人の大学院 生には、いまだに挑むべき新司法試験の全貌が知らされていない。ゴールが見えない ままの猛勉強は、教育現場をゆがめ、学生をいらだたせている。
もっともな話で、私が受験生だったら、怒り心頭だったでしょう。
3月1日の日誌で私が指摘したことですが、この記事も
「小泉内閣が描いた理想の司法改革は、その後、いくつもの当事者がバラバラに制度作りに関わり始めた」「特に、大量の法科大学院ができてしまったことが想定外の事態であった」
と、本質を喝破しています。
法科大学院の制度設計に関わった人たちに、「予備校の関与の排除」という理想主義
があったのは確かですが、試験と競争主義のあるところに予備校が排除できると考え
たことが間違いです。制度設計に関わった人たちの世代には、たぶん予備校が当たり
前の経験がないため、この辺がどうしても感覚的にわからないのでしょう。
逆説的ですが、現在の司法修習生に予備校に通う人はいません。現在の司法修習の卒
業試験(2回試験)は、「合格留保」はあっても、「不合格」は事実上ないに等しい
ためです。まあ、そのようなぬるま湯の状態が、現行司法修習への不信感につながっ
た面があるでしょうが、競争を持ち込んだ以上は、予備校がはびこってくるのは仕方
がない。その上で、これに負けない法曹をどうやって選抜するかどうかを考えるしか
ないのではないでしょうかね。