他人のトラブルの解決を生業とする法律家は、他者の痛みに共感できる能力が必要です。
………と言ってみても、法律家も生身の人間ですから、他者と全ての感覚を共有できるなどというのは、実際には不可能だろうと思います。
たとえば、交通事故でよくある後遺障害の「むち打ち」。私は偶然、5年前に自分が追突されて、けっこう1年ほど症状を引きずり、最近でもやはり疲れやすいとかいう目に見えない後遺症は残っていますから、そのような目に遭っていない人よりは、むち打ちになった人の得体の知れない苦しさは共感できるつもりです(最近はこれが髄液の消失によるものという仮説もあるようですね)。
思い切り私事ですが、長男が生まれるまでは、やはり親になった者の気持ちはわかったつもりになっているようで、実際には芯からはわかっていなかったような気もしています。育児というものが、親の膨大な時間を無償で提供することでようやく成り立っていることは、自分が当事者になるまではわかりませんでした。「親バカ」という言葉がありますが、長男が生まれるまでは、親バカにだけはなるまいと思っていたものの、実際には、親バカにでもなっていなければ、育児なんぞ到底続けられない感じで、自分の子供を無条件にかわいいと思える人間の本能というものはやはりすごいと思わざるを得ません。
と言っても、すべての立場を経験することはやはり不可能ですから、法律家としては、後は想像力を鍛えるべきか、それとも知らないことは知らないと開き直って人と接していくべきか、思案するこのごろです。