弁護士が書く文章のタイトルかよ(^^;
という突っ込みはともかく、なんの話かというと、もう足かけ3年も続いている入学金・授業料問題弁護団の件です。4月28日に出された横浜地裁の勝訴判決を、連休を挟んで、ようやくじっくり読むことができました(28日は夕方から外出しており、全文を見ることができないままでした)。
一番最初に、京都で出た判決を除けば、弁護団案件で、その後の判決は軒並み入学金の返還を認めてはくれないものばかりでした。
入学金の支払期限が、大学側によって一方的に、合格発表直後に設定されているばかりに、まだ他大学の合格可能性を残したまま、やむを得ず入学金を支払っているだけなのに、3月中に辞退をしても(=入学前に辞退しても)なぜ入学金を返してもらえないのか。素朴な感覚で、おかしな話です。
多くの判決で、入学金を返さなくていいという結論を採られたのは、もしこの請求を認めてしまうと、大量の入学辞退者による入学金収入で実質的に経営を支えている多くの大学にとって壊滅的な打撃が生ずるのではないかという、裁判官なりの「バランス感覚」が働いているとしか思えないのですが、私から見ると、受験生を犠牲にしてまで認めるべき「バランス」とは思えません。社会の悪弊を裁判所が追認しているだけのように思えます。
何より、理屈が成り立っていません。多くの判決では、入学金を返還しなくていい根拠として、「入学金は『入学しうる地位の対価』であるから、支払うことで受験生はこの地位を手に入れているから」という点を述べます。
果たしてそうでしょうか?入学金は、あくまで「『入学(=在学して教育を受けること)』の対価」ではないでしょうか?
このような理屈が成り立つのなら、不動産売買契約の頭金は、「売買の対価」ではなく、「売買しうる地位の対価」ということになり、弁護士への着手金は、「事件依頼の対価」ではなく、「事件を依頼しうる地位の対価」ということになりかねませんが、明らかにおかしな話です。
横浜地裁の今回の判決は、「『入学しうる地位の対価』などと言っても、結局は「滑り止めの対価」でしかない」「滑り止めの対価として支払われたものを、営利企業でなく公益法人である大学が返さないでいいというのはおかしい」と断じてくれたわけで、ある意味、最初の京都の判決以上に胸のすく明快な論理です。裁判所も捨てたものではない、勇気ある判決を書ける裁判官もまだいるのだ、と感じました。
しかし、この横浜地裁、実は、昨年9月に判決を出すはずが、無期延期にして結局7ヶ月も延ばしてしまったところです。これがなければもっと完璧だったのですがねえ。