私が司法修習中に聞いた言葉で、最も印象に残っているものに「弁護士とはカウンターエリートである」という言葉があります。
法曹3者のうち、裁判官と検察官が「権力」の側に身を置く「エリート」であるのに対し、弁護士はこれに対峙する「カウンターエリート」であるというのです。弁護士の在野性を見事に表した言葉だと思います。
もともと私は権威主義が大嫌いで、修習中も権威主義が服を着て歩いているような裁判所所長と喧嘩してたりした者ですので、多分法曹一元が実現しても裁判官には向いてないかも知れません。
弁護士は権力を持っているわけでもありませんから、見せかけの権威ではなく、内容による説得力が必要とされます。理論と人情、行動力によって説得力を持つ弁護士を目指していきたいと考えております。
ま、法律家を目指すくらいですので議論が好きであることは否めません。学生時代から人に議論を吹っかけるのは好きでした。
しかしながら、自分が弁護士になってから気づいたことですが、議論のための議論というのには何ら価値を見いだせません。弁護士は依頼者の方の具体的な問題を解決することこそが使命であって、具体的解決につながらない机上の議論をもてあそんでいても、何の役にも立ちません。
なぜ、こんなことを言うかというと、弁護士の世界にはただ単に議論をもてあそぶ人が結構いるんですよね。実際、、日弁連の委員会等ではそういう人が幅を利かせていたりして、私は辟易しています(笑)
問題解決指向型の議論を行い、依頼者の抱える問題を迅速に解決できる弁護士を目指したいと考えています。
弁護士である以上、依頼者の利益の実現に最大限努力することは当然のことです。
しかしながら、そのような私益の追求のあまり、社会的に見て不公正な解決を追求することもまた弁護士としてはできません。企業においてもコンプライアンスの充実が叫ばれる現在、誰からも後ろ指を指されることのない決着を目指すことが、終局的には依頼者の利益になるはずです。
このため、弁護士として、場合によっては依頼者の方に厳しい見解をお伝えすることもあり得ます。理非、是非を依頼者と協議し、理解し合えるような弁護士を目指したいと考えます。