少し時機を逸してしまったような気がしますが、昨日ほかの弁護士と飲みに行く途中の会話で出たもので。
買春で逮捕されて大顰蹙を買った東京高裁の村木元判事ですが、判決は「執行猶予5年つき懲役刑」でした。
で、驚くことにマスコミの論調は「軽すぎる!」というものが多いのですね。軽すぎる??通常同種犯罪では略式命令で罰金刑がほとんどですよ。それから比べれば、既に重すぎるといって間違いないのではないでしょうか(少女買春の罪自体が軽いという趣旨ではありません。現実の運用がその程度という趣旨です。運用自体の重い軽いは別問題です)。
私は別に村木元判事の肩を持つつもりは毛頭ありません。少女買春をする動機を「裁判官の仕事によるストレス」などと弁解した点については甚だしく愚かしいとさえ思います。要は彼は「裁判官といえどもただのスケベなロリコン男であった」にすぎないのではないでしょうか。
もちろん人を裁く立場の裁判官ですから、自分の身を律するにシビアなものが要求されるのは当たり前ですが、村木元判事のような破廉恥犯の場合、今までのキャリアを全て失うことになるわけで(おそらく弁護士になる道も閉ざされるでしょう)、通常の職業であれば、その点を考慮して判決は寛大なものになることが逆に多いはずです。かさにかかって判決後も責めかかるマスコミの態度には、何か弱いものいじめのような疑問を感じます。
これとの対比で私が逆の意味で納得行かないのが、福岡高裁の古川元判事の件。
奥さんがストーカーであげられた際、検察が捜査情報を漏洩したのではないか、古川元判事が証拠隠滅に加担したのではないかが問題となった事件です。結局古川元判事は弾劾による処分もされずに終わりました。するとマスコミもいつの間にかうやむやな論調に。
仮に古川元判事の行いが犯罪には該当しなくても、彼によって失われた裁判所の信用は、村木元判事よりも本当は大きいのではないでしょうか。何しろ、敵であるはずの担当次席検事から弁護人を紹介してもらったのですよ!これは裁判官として最も恥ずべき「権力との癒着」ではないでしょうか。
村木元判事の事件は、「裁判官といえども生身の弱い人間である」ことを示すことにはなっても、まさかどの裁判官もおなじようなことをしているのか?と勘ぐる人はいないでしょう。また、彼が買春を行うに当たって裁判官という身分は、邪魔にこそなれ、メリットにはなりようがありません。
これに対して、古川元判事の場合は、まさに彼が裁判官だから起こりえた、構造的な根の深い問題である可能性を秘めています。どうしてマスコミはこの点をもっとアピールしないのか、不思議でなりません。