本日は久々に一日中何も予定がない日で、おかげで午後からパソコンの前に座って、懸案のHP更新に励みました。
何せ、普段は日誌を書くので精一杯ですので、レイアウトの変更をしたくても時間がなくてできません。
おまけにこのトップページのレイアウトは知り合いに頼んで作ってもらったもののため、自分で修正すると不具合が続出。知り合いに聞いて、HTMLソースごとコピーしてようやくできました。やれやれ、このリファインだけで2時間かかってしまいました。
本日は「10士業よろず相談会」という無料相談会の裏方として働いてきました。
「10士業」とは、弁護士、弁理士、司法書士、公認会計士、税理士、社会保険労務士、土地家屋調査士、不動産鑑定士、行政書士、中小企業診断士の10分野の専門家を指し、これらが一堂に会して合同で相談会をやるのがこの企画です。
開始したころは相当な盛況だったのですが、最近は弁護士以外の団体はけっこういつも無料相談会を開いているからか、あまり相談者が殺到しなくなってきました。実際、来る相談者の半分以上が弁護士に対する相談ばかり。弁護士のブースは常に大忙しなのに、他の士業のブースは閑古鳥が鳴いているようでした。
弁護士会は、無料相談というのは、自治体主催の法律相談と扶助協会の相談以外は、何かイベントがないとやらないためかもしれません。
まさか他の団体に「無料相談をやめてくれ」とも言えませんしね。
私自身、この相談会の裏方に初めて参加した3年前は、各士業の裏方同士の交流があって、他士業の先生と仲良くなったりしてそれなりの収穫があったのですが、最近は各士業ともそれぞれ身内で集まるだけで、相互の交流がほとんどないようです。
これはゆゆしきことで、各士業が合同で企画を考えると言うこと自体は貴重な機会ですので、このままでは新しいアイデアを考えないと尻すぼみと言うことになりかねません。ただの相談ではなくて、何か市民講座のようなものを合同で企画するなどはどうですかね。
私の事務所のすぐ近くの平成通りには、一面街路樹(プラタナスかな?-「スズカケノキ」でした-10月2日)が植えてあります。
その根元には、通りの商店が思い思いの草花なんかを植えたりして、結構いい雰囲気でした。
ところが、去る7月上旬ころのある日、一帯の歩道の工事が始まり、業者がやってきて街路樹を丸裸になるまで剪定し、その上、根本の土も掘り返して植えてあった草花はみんななくなってしまいました。
剪定が目的だったのか、歩道の整備が目的だったのか何だかわかりませんが、とにかく若葉を伸ばしていた街路樹は無惨な姿になり、その半分以上が現在も芽吹いていません。どうやら枯れてしまったようです。
そりゃそうです。夏前の暑くなる時期に、突然枝という枝をカットされ、わずか葉っぱ2,3枚を除いてむしられてしまえば、炎天下の中、蒸散作用もままなりません。おまけに根元の土まで掘り返され、根は傷めつけられ、表土を守っていた草花は引っこ抜かれて水分を保持するものは何もなくなってしまっては、生き残る方が不思議でしょう。
おまけに本年は梅雨明けが早く、いきなり夏本番になってしまった気候のせいで、ことごとく死に絶えてしまったようです。8月下旬からの大雨で、何本かは息を吹き返したようですが、根元付近から新芽は出ても、上の方から新芽は出る気配のない木も多く、これでは街路樹の体をなしていないため、時期に処分せざるを得ないと思われます。
一帯、このような無茶な剪定と歩道工事を命じ、またそれを施工したのは誰なんでしょうかね?東京都あるいは中央区のような気がしますが、公金を使って街路樹を何十本も枯らしてしまった責任をどう取ってくれるのでしょうか。見解をうかがいたいところです。
本日は地元ネタでした。
本日、私が弁護人を務めた刑事事件の判決がありました。
交通事故の事件ですので、罪名は業務上過失傷害です。
過失の有無自体を争ったわけではないのですが、私自身も現場を見に行ったところ、結構交通量も多い県道で、見通しも悪く、被害者が出てきた横道は、ドライバーからでは相当確認が難しい道でした。
そこで、現場の写真を撮ったり交通量を調査した報告書を作成して弁護側の証拠として提出したのですが、判決ではその部分には全く触れてはもらえませんでした(結論的には執行猶予になっていますので、不服はありませんが)。
触れなかっただけで、内心では加味してもらえたのかも知れませんが、一般に裁判官は自分では車の運転をしない方が多く、ドライバーにとっては当たり前、と言う感覚(例えば、道路によっては制限速度を守っている車などいないようなペースで車が流れているとか)がわかってもらえずに苦労します。
なぜ、車の運転をしないのか?というと、単に「事故を起こしては危ないから」と言う理由が多いようです。
でも、出張の時には運転手に運転させて自分は後席に乗っているんですよね。結局、自分が事故を起こすのだけは避けたい、ということらしいです。
これはちょっと違和感があります。事故を起こしたくて車に乗っている人などいません。必要があって乗っている人がほとんどです。みな、事故のリスクを負いながら、運転しています。車の便利さは享受するくせに、自分はリスクを引き受けない裁判官に、交通事故関係の裁判を行われるのは相当疑問があると思います。
これも一種の「裁判官の市民感覚の欠如」ではないでしょうか?
しつこいようですが、またまた同時多発テロネタです。
事件直後から、アメリカでは「イマジン」がラジオで放送自粛曲になっているそうですね。何でも歌詞が反戦的だからという理由で。
これではまるで戦前の日本ではないですか。テロに対抗して、自由主義を守るための戦いであるはずなのに、何だかなあと言う気がします。
と、思っていたら、本日の朝日新聞の夕刊によれば、放送自粛に対抗して「イマジン」を流し続けているラジオ局にリクエストが殺到しているとか。だとすれば、まだアメリカにも健全な精神が残っているということで、ほっとしています。
自由とは意見の多様性を守るということであり、自由の敵にも自由を認めなければならないと言うジレンマを常に背負っています。そのジレンマに耐えつつ、テロリズムに対する戦いを遂行していかなければ、真の勝利はあり得ないでしょう。アメリカにはそのような意味でのお手本を示して欲しいものです。
数日前から、嫁さんの携帯電話に「スカウトマンです」などと名乗る謎の電話がかかってくるようになりました。
1日に何度もかかってくるため、私がその番号に架けて「夫ですが妻に何の用ですか?」とやったら、現在はおさまっているようですが。
それにしても携帯電話のイタズラ電話は、相手の身元が特定できないため、困ります。電話会社というのは「通信の秘密」(及び法律)を根拠にして、弁護士からの問い合わせ程度では教えないですからね。
そのくせ警察が照会すると簡単に教えるので、逆に言うと警察沙汰になるまではなかなか突き止められません。ですから、弁護士としてイタズラ電話の相談を受けても、ストーカー防止法の適用があり得るとき以外は「電話番号を変えるしかないですね」くらいしかアドバイスできません。
イタズラ電話をしてくるような人の通信の秘密を守る必要があるのか?そもそも架けられた相手方に対しては「プライバシー」を一定程度(少なくとも)放棄して架けていると考えるべきではないのか?
まあ、この辺は法律上根拠がないと、電話会社も恐くて対応できないかも知れませんので、立法で何とかして欲しいですね。
という映画を見に行ってきました。
知らない人のために簡単に説明しますと、タイトルの名前の32歳の婚期を逃しつつある出版社勤務のOLが、婚約者をGETしようとドタバタぶりを発揮するラブコメです。
朝日新聞の批評では「お相手が雑誌の編集長と有能弁護士というのはモテない女性としてはリアリティがない」などと言われていましたが、映画の性質上、観客の9割は女性、それもそのうち半分以上が主人公と近い年代の女性でした。
で、お相手に出てくる「有能弁護士」ですが、ストーリーの中盤までは冴えないファッションとくそまじめで機転の効かない会話、能面のような表情で、いくら弁護士とはいえとてもOLに受けるタイプとは思えないのですが、彼から告白されるとそれまで毛嫌いしていた主人公がころっと気持ちが傾いてしまうのが、本当かね?って感じです。
それと、主人公にとってこの「有能弁護士」を巡るライバルになるのがパートナーの女弁護士ですが、この女弁護士はどうも「有能弁護士」君にけっこうぞっこんらしいのですが、二人の会話はホテルでもパーティでも湖でのボート遊びの上でも「あの供述書だけど………」とか、「この証人が………」とか、仕事の話ばっかり!そんなリアリティのない話はねぇよ!
「弁護士の頼み方・選び方」Q10で、大事務所と小規模事務所の弁護士を、大病院と町医者になぞらえましたが、その話をもう少し。
日本人は、大病院信仰が強いというか、ちょっとした病気でも大病院に行く、という方が多いようですね。
おかげで大病院はめちゃくちゃ混雑して、本来の大病院でしか扱えないような重大な病気の患者に精力が割けない。
これを防止するという理由から、紹介状がない人がいきなり大病院に診察を受けに行くと、割増料金を取られる制度も導入されていますが、余り抑止効果が上がっていないようです。
気軽に行ける町医者を主治医に持つ方がいいと思うんですけどね。
私は小さいときから結構虚弱だったので、常に近くに主治医が必要でした。現在の主治医は、中学生の時から診てもらっている医者なので、もう私の体質から何から全部わかっています。
例えば初見の患者に対しては、医者もあまり強い薬は出せません。風邪であればPL顆粒とか、副作用の可能性の少ない軽い薬を出してお茶を濁し、様子を見る対応が多いでしょう。しかし、虚弱な私はPLなんかで風邪が治った試しがありません。ですから、こりゃだめだ、自分じゃ直らんという場合は主治医に言って最初からそれなりの薬を出してもらうことにしています。主治医だからある程度思い切った投薬ができるわけです。
司法修習生の時代、盛岡で修習中に、ひどい腹下しに襲われて、水分すら吸収できないほど消化器官が逝ってしまった時がありました。修習を休んで、やっとの思いで県立病院まで行って、2時間待って診察を受けましたが、検査をされたものの結果は3日後でないとわからないと言われ、当たり障りのない薬しかもらえませんでした。本当は点滴をしてもらいたかったのに。
しかし、家に帰って薬を飲んでも全く効き目はなし。それどころか水分を吸収できないため、尿すら出なくなってきました。このままでは脱水症状か腎臓病になっちまう。思いあまってその夜の新幹線で実家に逃げ帰ってしまいました。翌朝タクシーで主治医のところに行って、事情を話すとすぐに点滴をしてくれました。結局3日連続点滴を受けに行き、1週間かかってようやく快復しました。
まあ、盛岡でも救急車でも呼べば入院させてくれて点滴はしてくれるのでしょうが、入院までは必要なくともある程度ドラスティックな治療が欲しい場合、大病院はなかなか対応してくれないような気がします。
………とまあ、話してきたことを弁護士になぞらえていただければ、私の意図はおわかりかと思いますが。
いよいよ国際情勢がきな臭くなってきましたが、またしても日本は、主体的な判断をしているようには見えません。
9月13日の日誌でも述べたことですが、日本がやるべきことはアメリカの尻尾についていくことではなくて、国連を中心とした国際社会の連帯によるテロの根絶を呼びかけることではないでしょうか。
それにしても、「戦争だ!」とぶち挙げてしまったがために、引くに引けなくなってしまったブッシュ大統領。振り上げた拳をどうおろすのでしょうか?アフガンに攻撃を加えても、民間人の被害が増すだけではないでしょうか。「罪もない民間人が標的とされた」ことが今回のテロの最大の悪質さと言われているのに、これに対決するのに民間人を攻撃してしまったのでは本末転倒です。
そして、もっと問題なのがアナン国連事務総長。あろうことか、アメリカの軍事行動には、先日の「テロ非難決議」に加えての新たな国連決議は必要ない、と発言したとか。
繰り返すようですが、テロは犯罪です。犯罪に対すべきは、被害者による「報復」や「戦争」ではなくて、国際社会による「処罰」です。そして「処罰」には適正な手続が必要です。国連が音頭を取った「強制捜査」としてのアフガンへの立ち入り調査であれば、反対できる国は極度に減るでしょう。「報復戦争」などと言うから、タリバーンから「報復には聖戦で対抗する」などと言われて、宗教戦争にすり替えられてしまうのです。
アナン事務総長の無気力な発言により、国連は21世紀最初の出番に自ら幕を引いてしまいました。国連よりアメリカの意思が優先するのでは、もはや国連も解散した方がいいと思いますが。
本日は朝から、午後2時に弁論準備手続が入っている事件のための打ち合わせに追われました。
この事件、前回は8月の末に期日が入っており、その際に相手方の主張に対する当方の反論を提出する予定だったのですが、無事打ち合わせも終わり、準備書面(裁判の当事者の主張を書いた書面)の案も作成して依頼者に送っておいたのに、期日の3日前になって突然「よく調べたら違う証拠が出てきた」と依頼者が言い出してしまった事件です。おかげで前回の期日は不十分な書面しか出せず、裁判官に謝ってもう1回期日を入れてもらったのでした。
今度こそ、完全な形での主張を展開しなければならないはずですが、先週に打ち合わせを入れておいたら、その日が例の台風で大変な日で、電車が止まって依頼者が来れずに延期。
もう私のスケジュール上、今日の午前中しか日程が入らず、2時間で打ち合わせをしてその場で準備書面を作成するという突貫工事でした。
本日は3時からも、もう一つの事件が入っておりましたが、こちらも今回当方の主張の順番でしたが、準備が遅れに遅れて準備書面が最終的に提出できたのは昨日。裁判官に「もう少し早く提出してくれれば、本日もっと中身の話ができたのですが」と嫌みを言われてしまいました。
確かにそのとおりですが、この件はちゃんと余裕を持って打ち合わせの日程を指定しておいたのに、依頼者がすっかり忘れていて、やはり打ち合わせが延びちゃったのですよ。
おまけに8月下旬から9月半ばまでの時期は、裁判所の夏休み明けと言うこともあって、裁判の期日が殺到し、弁護士のスケジュールも多忙を極めているので、一度打ち合わせの予定が流れると、なかなか入らないことが多いのです。
まあ、基本的に当事者の準備を待っているだけの受け身の裁判官はもどかしい思いをしているとは思います。でも、依頼者と準備をする代理人も大変なんですよねえ、これが。裁判官にはわかってもらえないだろうなあ。
昨年の出資法の上限金利引き下げ(40.004%→29.2%)と前後して、ヤミ金融業者(ヤミ金)が増加しているようです。
利息制限法はおろか、貸金業法(出資法)の上限金利すら守らないヤミ金の代名詞は「トイチ」(10日で金利1割=年利365%)でしたが、最近は「トイチ」などむしろ良心的(?)なヤミ金業者で、「トヨン」(10日で金利4割=年利1460%)、「トゴ」(同5割=年利1825%)などが主流になっています。
彼らの狙うターゲットは、ブラックリストに載ってしまい、通常のサラ金からは借りられなくなった多重債務者。とりわけ、破産宣告を受け、免責決定を受けた人がカモにされます。ブラックリストがヤミで売り買いされているのでしょう、破産宣告直後から大量の勧誘ダイレクトメールが届くのです。
まあ、破産宣告を受けて懲りたはずなのに借りてしまう債務者も債務者ですが、ここで誘惑に負けて借りてしまうともう破滅寸前です。何しろ一度免責決定を受けているため、10年間は再度の免責決定は受けられません(最近、東京地裁では例外的に認める運用をしているようですが)。これがヤミ金業者の狙いでもあります。いくら苦しくとも、破産→免責という切り札がもはや使えないために、絶対に返さなくてはならないからです。
最近、クレジット・サラ金法律相談でも、過去に破産宣告・免責決定を受けているのに、ヤミ金からまた借りてしまい、にっちもさっちもいかなくなって相談に訪れる方が増えているようで、私なんぞも当番に当たるたびにそのような相談者を担当させられるのですが、正直言って弁護士にとっても解決の幅が狭まるため、余り受任の意欲が湧く事件ではありません(と、文句を言いつつ結局引き受けて苦労していますが)。
このような違法金利を取る行為は明確に刑事罰の対象になっているのですが、警察も実際にはなかなか摘発してくれません。また、監督官庁も人手不足で監督の実効性は上がっていません。また摘発しても、刑事罰が軽すぎるため、何の抑止効果も生まないようです。
違法な高利貸しが利益を得るような社会は近代国家とは言えないような気がしますが、もう少し何とかならんもんですかね(被害対策弁護団の活動だけでは限界がありましょう)。
本日の弁護士会のクレサラ弁護研修を受講していて思ったことでした。
今日の午後は1時30分から5時まで、もう私が3年間もかかわっている刑事事件の公判の証人尋問に費やされました。
この事件、今年の春で被告人質問も終わり、夏ころには判決かな?と思っていたのですが、4月に検察官が転勤で交代すると、突如後任の検察官が方針を変え、もうやらないと言っていた証人の請求を何人も出してきたため、いったいいつ終わるのか見当もつかなくなっています(マスコミでは、遅い裁判の張本人はたいてい弁護人だとして攻撃されることが多いのですが、こんなこともあるのですよ)。
そんなわけで、今日も相変わらず証人尋問をやっていたわけですが、なぜか今日は学生風の傍聴人が何人か来ていて、尋問の間の休憩時間に、「事件番号を教えてもらえるか?」とか「弁護人の名前を教えてくれ」とか質問されました。どうやら大学かなんかの課題で傍聴されていたようで、レポートを書くのに必要なのでしょう。
私自身、東京弁護士会広報委員会の裁判傍聴会の引率者をよく担当するので、一般の方の傍聴は基本的に大歓迎ですが、問題は傍聴時のマナーです(その点、今日来ていた方は非常によいマナーだったと感心しましたが)。
証人尋問をしている最中は、弁護人も検察官も、全精力を傾けて証人の答えのみならず、ちょっとした態度の変化や表情を見逃すまいと集中しています(もちろん、裁判官もです。まあ、時々寝ている裁判官もなきにしもあらずですが)。
その最中に、法廷のドアが開いたり、傍聴席で人の動きがあると、それだけで証人や弁護人の集中力は著しくそがれてしまい、法廷全体の緊迫感も崩れてしまいます。結果、尋問のリズムが崩れてしまうことも多々あります。
ですから、裁判を傍聴される場合、特に証人尋問の途中で法廷に入ろうとする際にはできるだけ音を立てないように、気をつけて入ってきて欲しいです。そして、いったんは言ったら速やかに席に座り、尋問が一段落するまでは席を立ったりしないように願いたいものです。尋問のまっただ中でドアを勢いよく開けて入ってきて法廷の雰囲気を台無しにしておきながら、5分も経つと退屈になって(そりゃ、一つの事件の中のただ一人の証人の尋問の途中から聞いても全く文脈がわからず、退屈でしょうね)、また物音を立てて出ていく、そんな方は正直言って願い下げです。
今までで最悪だったのは、今日のこの刑事事件の半年くらい前の公判の時。
学校の行事かなんかで高校生くらいの生徒さんが大量に裁判所内に押し寄せ、しかも先生の引率もなしに勝手に法廷を物色して回っていたようで、しばらく廊下で騒がしい物音がした後、ドアを開けて何人かの生徒が法廷内をのぞき込んでは結局入らずにドアを閉めると言うことを何回かやった後、突然総勢で傍聴席に全然入りきらないほどの人数の生徒ががやがやと法廷に入ってきたのです。
普通の合議法廷ですから、席数は50程度。関係者も座ってますし、先客の傍聴人も数人いましたので残りは全部あわせても30程度。そこに50人から60人くらいの生徒さんが入ってこようとしたのです。当然、席は全く足らず、生徒さんは法廷の後ろで立ちつくし、ドアは開いたまま。外では入りきれない人たちが中の様子がわからずガヤガヤ。
私の相弁護人が尋問中だったので、さすがに私も怒り心頭に発して、廷吏の方に「何とかしてくださいよ」と頼み、ようやく追い出してもらいましたが、尋問のペースはむちゃくちゃに乱れてしまいました。
こういう無責任な引率だけはおやめ下さいね<学校の先生方
今朝、裁判所に行く途中で、霞ヶ関の駅から出たところで、「東京の弁護士会を一つにする会」がビラを配っていました。
現在、東京には弁護士会が三つあります。東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会の3つです。
ほかの都道府県は基本的に弁護士会は一つずつです(北海道は地方裁判所が四カ所あるので弁護士会も四つですが)。
なぜ、東京だけ、こんなことになったのか。私が弁護士になるずっと前に三つに分裂していたので、又聞きの世界ですが、最初は東京弁護士会しかなかったものが、方針の対立からまず第一東京弁護士会が分裂し、さらに東京弁護士会から第二東京弁護士会が分裂して現在に至っているそうです。
現在でも弁護士会によって多少の色があり、第一東京弁護士会はいわゆるブルジョワ弁護士が多いようです(大企業の顧問弁護士となっている例が多い)。そのせいかどうかわかりませんが、人権擁護等のプロボノ活動に関しては第一東京弁護士会がもっとも低調な傾向があります。これに対して、東京弁護士会は個人経営の弁護士が多く、そのせいかわかりませんが、プロボノ活動は伝統的に熱心です。
では、残る第二東京弁護士会はどうかというと、体質的には東京弁護士会に近いようですが、東京弁護士会が会員数が多く、意思決定が遅い傾向があるのに対し、第二東京弁護士会はよく言えば意思決定が迅速、悪く言えば新しもの好きです。
とはいえ、東京弁護士会と第二東京弁護士会は比較的仲がよく、足並みも揃いやすいのですが、第一東京弁護士会はよくほかの二つと足並みをそろえず、独自路線を行くことが多いです。例えば、弁護士会館での法律相談にしても、東京弁護士会と第二東京弁護士会は共通の受付カウンターをおくことで合意したのに対し、第一東京弁護士会はあくまで独自路線を主張して別カウンターになってしまいました。
ですから、「市民のために三弁護士会が統合すべき」というのは確かに一理あります。しかしながら、歴史的経緯があるため、簡単にはいかないでしょう。
さらに言えば、東京の弁護士会が三つあるために、相互に競争しあって、新たな弁護士会のサービスを生み出している面もあります。これが統合してしまうと、競争もなくなり、巨大な会員を抱えて意思決定の極度に遅い会ができるだけの恐れもあります。ですから、どちらがよいかは我々でなく、市民の皆さんが考えるべきことでしょう。
(その1)
本日は午後から休日出勤していましたが、準備書面1通に5時間もかかってしまい、気がついたら夜8時でした。
休日出勤は決して好きじゃないんですが、最近平日は夜まで打ち合わせが入っていることが多いし、日中は電話が多く、落ち着いて書面を書ける暇がないため、結局起案がたまって休日に来なきゃ、ということになってしまいます。
しかし休日は睡眠不足解消の日でもあるため、昼まで寝ていて出勤は午後になってしまい、実働時間はそれほど多くならないのが欠点です(笑)。
(その2)
報道によると、マイカルの民事再生法申立は、会社更生申立を主張する社長をクーデターで解任して押し切ったそうですね。
おまけに取締役会隣室では弁護士が会社更生法申立書類一式そろえて待機しており、全国で110人の弁護士が取引先の説明のために待機していたそうだとか(ドラマみたいで出来過ぎのような気がしますが)。急遽方針が変わって弁護士も振り回されたわけですね。
今日は趣味趣味文です。
IBMが秋モデルからコンシューマー販売を縮小し、Aptivaブランドを廃止するなどの報道が流れており、ユーザーの掲示板ThinkPadClubでも、表題の特集が組まれているので、私も勝手に便乗させていただきます。
私が初めてThinkPad560を買った1997年1月当時、ThinkPadは間違いなく、日本国内でもノートパソコンのトップブランドでした。
確かに当時においても、比較的価格が高かったこともあり、販売台数ではNECの98NOTEや富士通のBIBLOに後れを取っていたかも知れませんが、ThinkPadは知る人ぞ知るあこがれのブランドであり、ステイタス性という点では群を抜いていました。車で言えばメルセデスやBMWのようなブランド価値を手にしていたのです。
なぜ、当時ThinkPadはステイタス性を持っていたのか。
第1に、700シリーズという他を寄せ付けない高級機が存在したこと。当時の販売価格で80万円から100万円という途方もない価格でしたが、それだけの価格に見合う高級なパーツと先進性がありました。
第2に、フラッグシップたる700シリーズと統一感を持った優れたデザインで製品ラインアップが揃っていたこと。飽きの来ない弁当箱デザインとトラックポイントの赤というシンプルでありながら完成されたデザインは、他のメーカーでは決して得られないものでした。
第3に、モバイル性という点でも当時の国産メーカーを寄せ付けない完成度を持ったモデルを擁していたこと。伝説の「バタフライ・キーボード」を持つ701シリーズは、B5サイズにフルサイズ・キーボードを納めた意欲作でしたし、薄型ノート560シリーズは、DECのHighNoteUltraの後追いとはいえ、完成度においてより高く、A4薄型ノートとして一世を風靡しました。そして、乾電池駆動の220の流れを汲む535シリーズは、キーボード、スペックと重さ、駆動時間のパッケージングでほかの国産ノートにライバルはいませんでした。………VAIO505が現れるまでは。
第4に、巧みなCM。「大人の翼」というキャッチフレーズは、ThinkPadのイメージをより高めるのにぴったりでした。
その後、日本のコンシューマー市場はほぼsonyに制圧されてしまい、IBMは企業向けでは引き続き強さを誇るものの、コンシューマー向けは壊滅的状況です。現状を見てみると、前述のステイタス性の根拠たる4要件がいずれも消えてしまったことが窺えます。
第1に、フラッグシップ機の消失。700シリーズの消失後も高級機のイメージを保っていたのは600シリーズでしたが、コンシューマー向けモデルは高すぎてシェアを失いました。その600シリーズの後継としてデビューしたTシリーズは、スペックこそ高いものの、600シリーズの持っていた作りの良さ、絶妙なキータッチといった美点を失ってしまいました。これではこのコンシューマー向けモデルも(iシリーズ1800)値段で勝負するくらいしかなくなり、マイナーな存在から抜けられません。ハイエンド製品というイメージは完全にsonyのXR、GRに持って行かれました。
第2に、デザインも迷いの時期が続いています。最大の迷いは、昨年1年間iシリーズを中途半端な銀パソにしてしまい、帰って独自のポジションを失ったこと。sonyに惑わされて己を見失ったとしか言いようがありません。
また、最近のC面カット(底面が斜めにカットされている)デザインはやりすぎ。少なくとも日本人には受けるとは思えません。
第3に、モバイル性で98年ころに完全に出遅れ、イメージが低下したこと。日本独自モデル535シリーズを見捨ててファンの失望を買い、一方で240はディスプレイのXGA化の波に1年は乗り遅れて、おいしいところを持って行かれました。昨年後半あたりから、X20シリーズやs30シリーズなど、ツボをついた製品がようやく登場してきましたが、もはやsonyから周回遅れという感じです。
第4に、「大人の翼」以後のe-business toolsというキャッチフレーズは、コンシューマーには全く訴求しません。
ですから、これからのThinkPadがコンシューマー向けに少しでもとどまりたいなら、かつてのアピールポイントを取り戻すべきです。
すなわち、第1にフラッグシップ・モデルの復活。Tシリーズのコンセプトで、もっと作りがよく所有する喜びを持ったモデルを考えるべきでしょう。
第2に、デザインのブラッシュアップ。耐衝撃性という言い分も結構ですが、デザインと両立した機能を考えるべきです。
第3に、モバイル・ラインアップの充実。第4に、イメージ戦略。製品については相当盛り返してきていますが、イメージが追いついていません。SONYに対抗するには、イメージ戦略の再考が必要です。
そごうに続いて、また一つ来るべきものが来てしまったようですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20010914-00000312-yom-bus_all
日銭を稼ぐ流通業といえども、倒産が避けられないのが常識になりつつあるようです。それにしても、報道のとおりであれば、14日に銀行からつなぎ融資を断られて当日に民事再生法を申し立てしたのですから、申立代理人の弁護士はさぞ大変だったでしょう(まあ、最近の東京地裁は書類が整っていなくとも、とりあえず受理はしちゃいますので何とかなったでしょうが)。
「類は友をなす」という言葉がありますが、うちの事務所は、所長由岐に始まり、机の上の整理能力のない弁護士がなぜか揃ってしまったようで、そろいもそろって机の上が雑然としています。おかげでよく書類が行方不明になり、そのたびに事務局が捜索活動にかり出される始末です(たいてい机の上のどこかにある)。
私の机の上も、夏前からほとんど片づける暇のない状態が続いていたこともあり、まるで地層のように古い書類が堆積している状況でしたので、例の台風のやってきた10日に一念発起して片づけを始めました。
すると出てくる出てくる、なぜか1年前のファクスの山が出てきたりして、自分でもビックリ。その日は志半ばで夜になってしまったため、中途で帰りましたが、翌日私が米沢出張の間に業を煮やした事務局が残りをやってくれており、昨日出勤すると、見違えるような机の上が待っておりました。
なぜ机の上が散らかってしまうのか?まあ、私の性格が一番の原因だと思いますが、まず思い切りが悪く不要な書類を捨てられない。買うのかどうかわからない文献の広告、出るのかどうかわからない会議のファクスをとりあえず机の上に置いておくからすぐに収拾がつかなくなるのですね。
また、弁護士というものはどうしても同時進行でいくつもの案件をこなすマルチタスクな仕事の進め方を強いられるので、ある事件の準備書面を作っている最中に別の事件の電話が入り、その事件の報告書を作成する羽目になり、そうこうしているうちに第3の事件の打ち合わせ時間が来て全てをほっぽり出して会議室に入ってしまう………ということを繰り返しているうちに机の上も無政府状態になってしまうのでしょう。
一昨日夜からアメリカの同時多発テロの件で騒然としていますが、だからといって仕事を放り出してテレビにかじりつくわけにも行かないのがつらいところですね。
まあ、こんな感想が出てきてしまうこと自体、私も「平和ボケ」している証なのかも知れませんが、気になるのが、ブッシュ大統領が繰り返す「報復」の中身です。
「世界の警察官」を自認するアメリカのことですから、今回の事件に対しては何としても自ら報復を行いたい衝動が起こることは理解できますが、被害者が警察官の役割を果たすことはあまり賢明とは言えません。
アメリカの標榜する「自由」と「民主主義」の適用される近代市民国家は、皆私的報復を禁止し、国家が刑罰権を独占的に行使することで社会秩序を守ることが前提となっています。国家が正義を行うことで、人権と手続的正義が守られつつ、被害者の応報感情も満たすことを狙っているのです。
もちろん、今回のテロはいかなる目的であれ決して許されるはずのない蛮行であり、いわれのない被害を被った方々の悲しみと怒りは察するに余りあります。そして被害者が報復感情を持つこと自体は自然の感情です。
しかし、そこでアメリカが単独で報復行動へ暴走していけば、それは単なる私的報復=敵討ちであり、犯人がいかなる相手であれ、報復によってアメリカは犯人と同じ次元に落ちてしまうのではないでしょうか。
「自由」と「民主主義」によるグローバリズムを標榜するアメリカだからこそ、今回の事件に対しては、国際社会の連帯の元に犯人の摘発と処罰を求めるべきではないでしょうか。国際連合を動かすなり、国際法廷の設置を提唱するなり、アイデアはあるはずです。NATOでの集団安全保障のレベルでは、テロリストを対等な戦争相手と認めることになってしまいます。
さて、日本。さっそくアメリカ支持を打ち出したのはいいですが、例によってその後に憲法の枠内でとか、泥縄式の有事法制の検討とか、結局いつもの無策ぶりをさらけ出しているように見えます。
日本国憲法の精神に立ち返るならば、アメリカの被害に対し、国際社会への連帯による解決を呼びかけることがベストではないかと思いますがね。
いやー、今日はすごい台風でした。おかげで業務もめちゃくちゃでした。
朝10時に家庭裁判所で調停。地下鉄の出口から家裁まで行く間のわずか30メートルほどの距離で足下はずぶぬれです。
で、家裁に行ってみると、相手方(本人)は「昨日午後3時に電話があり、『台風なので欠席する』とのこと」。だったら昨日のうちに伝えてくれれば、こちらも延期にしてくれ!と頼んだのに。
まあ、当方の話だけ調停委員に聞いてはもらいましたが、裁判所ってどうしてこう融通が利かないんでしょうかね。
さて、11時半過ぎに裁判所から帰ってくると、風雨はさらにひどくなり、八丁堀駅から事務所までの100メートルで全身濡れ鼠状態。雨が下から降ってくる………。
事務所に着くと、今夜7時30分にあるはずの打ち合わせのお客さんが「台風なのでキャンセルしてくれ」と、伝言が入っていました。
さてさて、次なる難関は1時に小岩の法律相談に行かねばならないのですが、場所は小岩駅から300メートルはあるところです。そんなに雨の中をまた歩くと思うと………考えたくもなくて、前後の見境なくタクシーに乗ってしまいました。
ところがこのタクシーの運ちゃんが道を知らなくて、困る、困る。結局私が車内でノートパソコンを開いて地図ソフトでいちいち道を指示することに(おお、IT弁護士!)。途中小松川のあたりでは、京葉道路の車線に道路脇の立木が折れて半分塞いでいたりして、なかなかスリリングなドライブでした。
で、目的地に着いてみたら、よく見ると小岩駅から相談場所までは商店街のアーケードが完備されていて、風雨はかなりしのげることを発見。がーん、俺のタクシー代を返せ。
そもそもいくら予約制とはいえ、こんな日に相談者がちゃんと約束通り来るのだろうか?と、私はかなり疑問でしたが、終わってみれば3人中ドタキャンは1人だけで後2人は律儀に来ていただきました。
法律相談が終わった2時半ころには風雨も峠を過ぎていました。しかし、ズボンも靴下も半乾きのまま。うーん、気持ち悪い。このまま帰りたい。しかし4時にもお客を呼んである。仕方がない、事務所に戻るしかない。
しかしながら、ついてないことは続くもので、事務所に戻ってみると、事務員に「4時のお客はキャンセルになりましたよ。留守電に入れといたんですけれど聞きませんでした?」と言われてしまいました。携帯を見ると確かに留守電は入ってます。はいはい、俺が悪いのね。
そんなわけで、結局濡れた服のまま7時まで仕事してしまいました。
逮捕・勾留されている人、つまり起訴前の身柄拘束を受けている人の要請により、弁護士が1回だけ無料で出動して接見し、必要なアドバイスを与える制度です。
当番弁護士の出動要請は、警察官、検察官、裁判所のいずれに対して伝えてもよく、伝えられた捜査機関や裁判所は必ず弁護士会に連絡してくれるはずです。
出動する弁護士は、弁護士会があらかじめ名簿により当番日を決めて事務所等に待機させておくため、この名前があります。
接見に来てくれた弁護士に対して、弁護人になってもらうよう依頼をすることも可能です。その際には弁護士会で定める基準による弁護士費用がかかります。
東京の場合、簡易な事件で被疑者段階の着手金が15万円とされています
今日は細切れな話ばかりですが。
(その1)
昨日は日曜日だというのに当番弁護士にあたってしまい、一日中家で待機していました。
手前勝手な話ではありますが、やはり休日は出ていくのがおっくうで、正直「出動要請がこなけりゃいいなー」と思ってしまいます。
午後5時までが待機時間なので、5時を過ぎたら外出しようと4時過ぎからそわそわ。
嫁さんは私が5時を心待ちにしているのを知っていて、4時50分に外から「偽出動電話」をかけて来るというイタズラまでして私をどっちらけさせておりました。
いよいよ5時の時報だー!と喜んだ瞬間、で、電話のベルが………
おそるおそる電話に出ると「刑事弁護センターです」との非情な声。ああ、来てしまったのね。台風の中、俺にどこの警察に行けっちゅうんじゃ!と覚悟を決めました。しかし、次に聞いた声は「お疲れさまでした。今日はもうありませんのでもう結構です」
あーびっくりした。これまで出動がないことを確認する電話などなかったので、最後まで半信半疑でした。
(その2)
本日、ある弁護士と一緒に打ち合わせをしていて、とある会社が本当に実在するのかが問題となりました。
すると、その弁護士はやおら開いていたパソコンでネットに接続、すぐに帝国データバンクにアクセスして、問題の会社を検索してくれました。
かっこいい!これぞ真のIT弁護士!!
と、ここまではかっこよかったのですが、場所が私の事務所だったので、印刷ができない。パソコンから私の事務所にファクスを送ろうとしたら、設定ができてないのか送れない。
結局そのデータをメモリーカードに落としてもらってうちの事務所のパソコンで印刷するというローテクになりました。
(その3)
レイクのCMですが、私と同じように勘違いをしている方は多いようです。
http://www.iijnet.or.jp/bowwow/1516.htmlに、全く同じようなやりとりがありました。
昨日、メーリングリストの話をするはずがいつの間にやら派閥の話になっちゃいましたので、ついでにもう少々。
「人が3人いれば派閥ができる」とよく言われますが、弁護士は政治家以上に派閥を作るのが好きなのではないかとさえ思えます。
何のために派閥を作るのか?当然、選挙です。といっても国政選挙ではありません。単なる会内の選挙です。
といっても、上は「日弁連会長選」から、下は「東京弁護士会常議員選挙」までいろいろなレベルがありますが、とにかく選挙になると業務そっちのけで政策づくり、選対本部設置、電話かけ、と選挙一色です。常議員選挙なんかは公明党も真っ青ではないかと思うくらい、一票単位での票読みが行われます。
でもね、よく考えると、日弁連会長選といっても、たかだか人口2万人の村の町長選にすぎませんし、東弁常議員に至っては人口4000人の村の村議会選レベルな訳です(その割には定員が80もある!)。この程度の選挙に、皆さん燃える、燃える。公職選挙法の適用がないからいいものの、仮にあったとしたら、連座制で相当の歴代会長は危うい立場におかれるという噂もあります。私のような若手から見ると、何だかなあ、とついていけない感がぬぐえません(と、言いつつ私も派閥の後援で常議員に当選させてもらったりしてますが)。
昨日説明した一番小さい単位の派閥でさえ、私の所属する「春秋会」が創立47年だそうで、300人以上の大所帯です。これだけで大部分の弁護士会より大きい規模なのですから、東京にいかに弁護士が偏在しているかおわかりのことと思います。
IT化の遅れている弁護士業界ですが、e-groupなど無料のメーリングリストの広がりに伴い、メーリングリストの立ち上げは最近頻繁です。
いったん立ち上がり始めると、あちらもこちらも、といろいろなレベルでメーリングリストができはじめてしまうので、あっという間に私も5つのメーリングリストに登録する羽目になってしまい、整理が大変です。
だいたいこの業界というのは、日弁連レベル、ブロック連合会(私は関東弁護士連合会)レベル、単位会(同東京弁護士会)レベルでそれぞれ委員会があり、さらに東京弁護士会の場合、単位会内に三大会派(法友会、親和会、期成会。私は法友会)があり、さらに法友会の中に若手政策集団の法友全期会があり、一方で小派閥が11もある(私は8部春秋会)という複雑怪奇な構造になっています。それらが各自、勝手放題にファクスやら郵便を送りつけてきて、これまでもファクスは毎日たまらないほどの分量が殺到していたわけですが、これがメールにも波及しつつあるわけです。
メーリングリストというのも、同質性の高いせいぜい数十人規模の集団でやっている分には楽しいのですが、大規模なものになっていくと、いちいち反応していられずに結局読み飛ばし、肝心なものも埋もれてしまうようになってしまいますね。普及しすぎというものも困りものかも。
少し時機を逸してしまったような気がしますが、昨日ほかの弁護士と飲みに行く途中の会話で出たもので。
買春で逮捕されて大顰蹙を買った東京高裁の村木元判事ですが、判決は「執行猶予5年つき懲役刑」でした。
で、驚くことにマスコミの論調は「軽すぎる!」というものが多いのですね。軽すぎる??通常同種犯罪では略式命令で罰金刑がほとんどですよ。それから比べれば、既に重すぎるといって間違いないのではないでしょうか(少女買春の罪自体が軽いという趣旨ではありません。現実の運用がその程度という趣旨です。運用自体の重い軽いは別問題です)。
私は別に村木元判事の肩を持つつもりは毛頭ありません。少女買春をする動機を「裁判官の仕事によるストレス」などと弁解した点については甚だしく愚かしいとさえ思います。要は彼は「裁判官といえどもただのスケベなロリコン男であった」にすぎないのではないでしょうか。
もちろん人を裁く立場の裁判官ですから、自分の身を律するにシビアなものが要求されるのは当たり前ですが、村木元判事のような破廉恥犯の場合、今までのキャリアを全て失うことになるわけで(おそらく弁護士になる道も閉ざされるでしょう)、通常の職業であれば、その点を考慮して判決は寛大なものになることが逆に多いはずです。かさにかかって判決後も責めかかるマスコミの態度には、何か弱いものいじめのような疑問を感じます。
これとの対比で私が逆の意味で納得行かないのが、福岡高裁の古川元判事の件。
奥さんがストーカーであげられた際、検察が捜査情報を漏洩したのではないか、古川元判事が証拠隠滅に加担したのではないかが問題となった事件です。結局古川元判事は弾劾による処分もされずに終わりました。するとマスコミもいつの間にかうやむやな論調に。
仮に古川元判事の行いが犯罪には該当しなくても、彼によって失われた裁判所の信用は、村木元判事よりも本当は大きいのではないでしょうか。何しろ、敵であるはずの担当次席検事から弁護人を紹介してもらったのですよ!これは裁判官として最も恥ずべき「権力との癒着」ではないでしょうか。
村木元判事の事件は、「裁判官といえども生身の弱い人間である」ことを示すことにはなっても、まさかどの裁判官もおなじようなことをしているのか?と勘ぐる人はいないでしょう。また、彼が買春を行うに当たって裁判官という身分は、邪魔にこそなれ、メリットにはなりようがありません。
これに対して、古川元判事の場合は、まさに彼が裁判官だから起こりえた、構造的な根の深い問題である可能性を秘めています。どうしてマスコミはこの点をもっとアピールしないのか、不思議でなりません。
本日の日経新聞夕刊に「司法改革 年内に推進本部」という見出しで取り上げられていましたので一言。
司法改革は、一般市民が裁判の審理に参加する裁判員制や、日本型ロースクールの導入などが目玉になっており、日本の、「お金も時間もかかる割に役に立たない裁判」「足りない弁護士」という批判に代表される司法制度を根本から変革する可能性もあります。
が、私にいわせれば、制度をいくらいじくってもそれを運用する「人」が変わらなければだめだと思います。もっといえば、「人」が変わらなければならないような制度を作ることによって、制度も変わっていくでしょう。
制度だけ変わっても、効果がなかったのは衆院の小選挙区制導入でしょう。あれは「日本に2大政党制を作る」「派閥の争いをやめ、政策論争による選挙をやる」という触れ込みでしたが、実際には新進党は空中分解し、民主党は党内論争ばかりやってかつての社会党状態で、結局2大政党制にならずじまい。派閥も小泉さんのかけ声は勇ましいが、実際には消えていません。小泉首相の登場だって、結局は自民党内の政変のレベルに過ぎないのに、国民が「疑似政権交代」に酔ってしまって野党の存在を忘れる、というのはかつての状態と変わらないのではないでしょうか?
ですから、司法改革もやるからには制度いじりに堕落することだけは避けなければなりません。裁判員制をやるには裁判員をやる市民に対する法教育が不可欠です。予算を組んでやるべきです。法教育を受けていない市民では、キャリア裁判官にお任せ、という思考様式が抜けきれないおそれが強いです。ロースクールをやるにはしっかりした教官の確保が欠かせません。数だけ作ればいいものではありません。
小泉首相が唱えてすっかり有名になった「米百俵の精神」は、リストラと不景気を辛抱せよ、ということの正当化の文句だけのために引用されている嫌いがありますが、本来注目すべきは、限りある財源を教育=人づくりのために使ったところではないでしょうか。司法改革でもその辺は忘れず、制度と人材の粗製濫造はやめて、しっかりと人づくりに予算を配点して欲しいものです。
本日も朝は浦和、午後に相模原と出張で終わった1日でした。
(その1)
私はモスバーガーが好きで、事務所近くの茅場町のモスにもよく立ち寄ります。ついでにいうと、モスの企画したHI-FIBEというモスの店舗でのブロードバンド配信実験のモニターにも当選してしまったので、茅場町のモスに行く特は必ずノートパソコンと無線LANカード持参だったりします。
そんなモスフリークの私ですが、浦和のモスは謎です。写真をご覧になれば分かるとおり、通常の赤い看板ではなくて、なぜか紺の看板。そしてメニューも半分以上オリジナルです。これは実験店舗なのでしょうか?
(その2)
本日の日経の夕刊に「第二東京弁護士会が新宿に公設法律事務所を開設」という記事が載っていました(第二東京弁護士会のHPにも紹介があります)。
今まで、弁護士過疎地域における公設事務所はいくつか設立されてきましたが、首都圏でこのような都市型の公設事務所は初めてです。第二東京弁護士会によると、この公設事務所では所長以下数人の弁護士により、①当番弁護や法律扶助事件等の公益性は高い事件を中心に受任し、また②将来弁護士過疎地域の公設事務所に赴任するような弁護士を育成することが目的のようです。
このうち、②の趣旨に関しては十分納得もでき、賛同できますが、①に関しては少々疑問が残ります。
まず、公設事務所といえども弁護士会が面倒を見るのは事務所のオフィスの手当てと開業資金の貸与くらいで、開設した後は結局独立採算制でやっていかなければならないはずです(弁護士会が法律事務所を経営するのは弁護士法上できません)。
となると、結局は公益性の高い事件を受任するといえども、採算を度外視するわけには行かず、その意味では一般の法律事務所と何が違うのか?結局そのような事件でも採算が取れるような制度を作っていかなければしょうがないのではないか?と思われます。
例えば、弁護士過疎地域への公設事務所第1号として、鳴り物入りでスタートした石見の公設事務所ですが、所長弁護士が最初に見境なしに事件を受任してしまい、それらの事件で手一杯になっているので今年に入ってからs新件を受任できず、かといって受任した事件もなかなか解決しないために、今年に入ってから収入が途絶えてしまい、日弁連に経済的支援を要請したという事件がありました。これなんぞ、公設事務所といえども経営の観点がなければ結局成り立たないという証左でしょう。
アドバルーンのような公設事務所を作るより、公益性の高い少額事件でも事務所経営が成り立っていくような制度を考案することこそ弁護士会の任務だと思います。
本日はなぜか、クレジット・サラ金関係の依頼者の打ち合わせが5件も重なってしまいました。
うち4件は弁護士会のクレサラ相談で受任したものですが、多少クレサラ関係に手慣れた弁護士になると、途端に大変な事件が配点されるから困ったものです。
特に困るのが、一度破産宣告を受け、免責決定を得てから10年経ってないのにまた借金をしてしまいにっちもさっちも行かなくなってしまった方。
免責決定を一度受けると、原則10年間は再び免責は受けられないので(最近は東京地裁では異なる運用もされているようですが)、破産もできない。
しかもそういう方はブラックリストに載っているので、まともな業者は貸さない。勢い、債権者はいかがわしい街金業者ばかりになります。
ブラックリスト情報というのは、なぜかすぐに売られるらしく、破産するといきなりアヤシイ街金業者から大量のダイレクトメールが届くのが通常です。そこで誘惑に負けて借りてしまうと、後は再び転落状態になり、進退窮まってしまうのです。
ブラックリストに載っている者に貸すのですから、業者の方も債務者が死に体であることを承知で貸しているわけで、私は勝手にこのような業者を「ハゲタカ業者」「ハイエナ業者」と呼ばせてもらってます。しかし、このような業者の中にはもう法律の規定なんて無視、弁護士が付こうがお構いなく本人に取り立てに行くような業者もいますから、街金業者から借りてしまうともはや弁護士に頼んでも、完全に取り立て行為を防ぐのは不可能といわざるを得ません。
根本的には本人にそうならないようにしていただきたいものなのですが、それにしてもこのようなハゲタカ的行為には刑事罰を科すくらいの姿勢があってしかるべきだと思うのですが、立法機関はあまりそういう声には耳を傾けてくれないようです。
本日、ようやく実質的なコンテンツである「弁護士の頼み方」のアップを開始しましたので、連動企画です。
弁護士の頼み方、というか相談の仕方で、弁護士の側から見て一番困るのは、「弁護士の威を借りたいだけのために相談に来る人」です。
何か相手とトラブっていて、自分の見解を「正しい」と弁護士に言ってもらいたいだけのために
相談に来る方がいらっしゃいます。これは困る。
そういう方に限って、自分に不利な事情はいっさい言わないくせに、自分の主張だけをまくし立てて、弁護士に「それで正しい」と言わせたがるのです。
多分、次回相手方にあったときに「弁護士も私が正しいと言っていた!」と主張するための材料にしようとしているのでしょう。事情も分かっていないのに、そんな風に使われても責任が持てません。
正しいアドバイスを得るためには自分に不利な事情も含めて包み隠さず話し、その上で弁護士の話に耳を傾けて欲しいのです。なんか、説教臭くなってしまいましたが。
今日は、昼過ぎから日本プレスセンタービルで行われた東京弁護士会の広告調査委員会の会議に行って来ました。
弁護士の広告は、実はつい最近まで「原則禁止」でした。弁護士たるもの、広告などして客引きをするのは品位に関わる、と考えられていたのです。
それが規制緩和と司法改革の流れに従い、あれよあれよと言う間に流れが変わり、昨年10月1日から「原則OK」に変更になりました。
しかしながら、まだ日弁連の規定により規制内容は残っています(写真は日弁連規定の解説本)。例えば、「法の抜け道を教えます」というような違法・脱法行為を助長するような表現とか、「○○地検での保釈ならお任せ下さい 元○○地検検事正」などの不正確な表現を使って実際よりも優位であるような表示をすることは禁じられています。
まあ、これらは当然でしょうが、一般の方が結構関心のあると思われる「専門分野」の表示も禁じられています。これは医者のように客観的な専門医認定制度がないため、客観性が担保されないと言う理由です。現状では「取り扱い分野」せいぜい「積極的に取り組んでいる分野」と書くのが限度だそうです。ただ、一般の方から見れば「専門分野」の表示ができないのは不便この上ないでしょうから、近い将来「専門弁護士」認定制度が望まれましょう。
広告調査委員会とは、こうした規定違反の広告がないか調査し、是正をはかる委員会です。いわば広告Gメンですね。
私はついこの前までこの委員会には何らの関わりもなかったのですが、この委員会の副委員長だった小川義龍弁護士(この先生のHPは充実してます。最近更新されてないみたいですが、お忙しいのでしょう。なお、この広告調査委員会のことも載ってます)が、事情により委員会を離れることになり、なぜか後任に私を指名したため、突然落下傘で副委員長にされてしまいました。
私より期が上の小川先生でさえ、元会長や副会長クラスの面々が集まる委員会の顔ぶれに緊張していたようですから、私なんぞはもう赤面状態です。まあ、私についてはどんなお偉いさんにも言いたいことを言うという定評が勝手にできあがっているらしいので、徐々に活動していくつもりですが。
さてさて、解禁された広告ですが、まだまだ「悪貨が良貨を駆逐する」に近い状態というか、まだ積極的に広告を出しているのは、いわゆる「非弁提携」の疑いのある弁護士(整理屋と結託して多重債務者を食い物にする弁護士)の方が多い状態です。そんなわけで、広告調査委員会の職務は事実上「非弁提携」弁護士の調査になってたりします。
皆さんも、くれぐれも良さげな広告にだまされないように。